医療過誤事件においてカルテの持つ意味
1 診療録の作成、保存義務(医師法24条)
2 診療録の開示
医師の備忘録
個人情報保護法25条により個人情報取扱業者は本人からの開示請求に対して開示しなければならない。病院は個人情報取扱業者。
3 診療録の本来的意味
本来は医事紛争対策のために作るものではない。
備忘録として、あるいは他の医療従事者との情報共有してその後の診療に役立たせるのが本来の目的。
4 医事紛争における診療録の位置づけ
過去の診療行為の詳細など記憶しているはずはない。
カルテなど(看護記録など含む)の作成は、診療行為の直後に、業務として、しかも専門家によってなされる。従って裁判所はその信用性を極めて高く評価。
カルテなどの記載は、画像や剖検所見などの他の客観的証拠と齟齬しない限り真実と見なされる。
カルテなどを正確に、必要十分な情報量を以て記載しなければならないのはこの理由による。
5 どの程度記載すべきか
髄膜炎
体温、頭痛の有無・程度、嘔吐の有無・頻度、項部硬直などの髄膜刺激症状の有無、意識状態。ロタウイルスなどのウイルス性胃腸炎の検査所見。
これらの所見如何で髄液検査をすべき義務があるか否かが判断される。
乳房のしこり
視診・触診で境界明瞭か、硬さは、表面がなめらかか粗か、可動性は、えくぼ現象は、分泌物は。MMGは画像が残るので詳細な記載は不要。
これらの所見如何で細胞診をすべきか否かが判断される。
異常所見については存在する場合だけでなく、異常所見がなければないと書いておく。
下肢の激痛
下肢の色調、運動麻痺、知覚麻痺の有無、急性発症か、足背動脈触知可能か、減弱は、ドプラー血流量測定
動脈塞栓症の鑑別
6 記載がない場合の取扱
例えば髄膜炎の見落としが争点となった場合項部硬直の有無は決定的な情報となる。カルテに何も書かれていない場合どう認定されるか。
異常がなかったから記載しなかったと認定されるか、そもそも確認していないから記載していないと認定されるか。
頭痛の記載がない場合。但し看護記録に頭痛やや軽減との記載が一カ所だけある場合どうか。
後日髄膜炎であることが確定されているとレトロスペクティブに見れば項部硬直も頭痛もなかったはずはないと認定されるか。
ケースバイケースだが一般論としては診断を左右するような重要な所見についてはその存否を必ず記載するよう心がけた方がよい。
なお画像の所見は後で見直せばよいことなので簡略な記載でも訴訟では問題にならない。
7 看護師への指示
妊娠中毒症の妊婦が分娩後高血圧持続。
血圧監視義務が争点となりうる。
少なくとも30分に一度は測定すべき。看護記録に数値が書かれていない場合医師がそのような指示を出したかどうか問題となる。
その後の診療の方針を決定するに必要な情報を得るための重要な指示は、指示したこと自体を記載しておく。それを書いておけば逆に看護記録に数値の記載なくとも測ったはずで、異常がなかったから数値の記載がないのだという主張が通るかもしれない。
薬剤の誤投与、過量投与の事故は多い。
8 インフォームドコンセント
むかしはムンテラのひとこと
説明内容は必ず書く。面倒なら単語を羅列しただけでも可。
未破裂脳動脈瘤
年間破裂率、瘤径による違い、破裂した場合の予後、クリッピングの危険性(合併症の種類、頻度)、保存的治療(MRAで瘤径の経時的観察、降圧療法)
一般的には、当該治療方法のリスクとメリット、治療法の概要、他の治療法の存否。可能なら教科書的数値を示す。高齢者など理解力が疑問の場合には家族にも説明。
一般的な賠償額。逸失利益はどうか。
9 刑事事件について
届け出義務
司法解剖
福島の産婦人科(大野病院)の逮捕事件
カルテの記載不備が医療訴訟の実務においてどのように扱われているか
弁護士 坂 野 智 憲
1、経過観察義務の懈怠が争われた事案
産褥感染症→骨盤内炎症→抗生剤投与→WBC、CRPいったん低下→退院→3週間後再燃、汎発性腹膜炎→子宮摘出
退院後通院時のエコー所見記載なし、下腹部自発痛、圧痛の記載なし(但し本人は下腹部持続痛ありと主張)、WBC、CRP記載なし
病院側主張は通院時エコー検査はしたが異常なし、下腹部痛、圧痛訴えなし→退院後の他原因を主張
2、検査義務懈怠が争われた事案
骨折の観血的整復→腰椎麻酔(ペルカミンS)→15分後血圧低下、ショック状態(呼吸停止、心停止)→心マッサージ→10分後ボスミン、ノルアドレナリン投与
手術記録には5分おきの血圧の数値しか記載されていない、病院の主張は、記載していないが血圧は頻回に測定した、手術記録の記載欄のスペースの関係上5分ずつづれて書いてあるが実際のボスミン投与は5分後
なお能書上ペルカミンS投与後15分間は血圧変動しやすいので1分後、その後14分間は2分おきに血圧測定すべきとされている。
3、分娩監視義務懈怠が争われた事案
陣痛促進剤投与→分娩監視装置使用せず、看護記録上は30分おきにトラウベで児心音確認→児心音低下→分娩監視装置装着、児心音60以下→帝王切開→脳性麻痺
病院側は実際は15分おきに児心音確認していたが異常がないときは数値を記載しないことも多いので記載がないだけとの主張
4、インフォームドコンセントが争われた事案
脳ドックで未破裂脳動脈瘤発見→クリッピング手術→術中脳梗塞発症
術前の説明内容が争われた。
A病院のカルテには未破裂脳動脈瘤の年間破裂率、合併症が不動文字で印刷された説明文書の写しが添付されており、術中脳梗塞が手書きで丸で囲んであった。
B病院のカルテにはほとんど記載なし。
cf、多いのは単に患者にムンテラとの記載のみ
5、検査結果、理学所見、説明内容がカルテに記載のない場合の評価
記載のないものはやならかった、あるいは存在しなかったものとされるのか、それとも医師、看護士、患者の証言で埋められるか。
現状はまさに裁判所の自由心証に委ねられケースバイケース
一般的傾向としては次のことが言える程度
① ルーチンワークであって特に異常が認められない場合敢えて記載しないことも合理的と判断されうる
② 他の部分に記載があるのにその時だけ記載がない場合は特に記載しない合理的理由が必要
③ 監視義務懈怠の結果重要な情報が得られない場合その不利益は監視を怠った医師の側が負うべき(下級審)
6、カルテを詳細に書く意味
① カルテの記載は紛争を予防する 上記4のケース
② カルテの記載は訴訟を有利にする
カルテに記載があればその証明力は極めて高く、仮に当事者が違う主張をしても認められることはほとんどない
7、カルテの記載不備と鑑定
カルテに記載はないが証言ではやったこととされている場合どう判断するのか。現在は鑑定事項として場合分けして尋ねる場合と、証言内容の評価も含めて鑑定人に委ねられる場合とがある。しかし前提事実が確定していないと鑑定人は困ってしまう。