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医療事故事件論考

医療過誤を防ぐために

第29回宮城民医連学術集談会シンポジウム
医療過誤を防ぐために

                                     平成12年11月26日
仙台弁護士会 弁護士 坂野智憲
1、医療過誤訴訟の実態
医療過誤訴訟の平成元年新規提訴数は352件、勝訴率21・3%。平成10年の新規提訴数629件、勝訴率44・9%。提訴されたケースで判決に至るものはむしろ少数で相当数は和解で解決されている。和解には勝訴的和解と敗訴的和解があるがその比率の統計はない。
提訴せずに示談交渉で解決されるケースは少数。日本医師会の医師賠償責任保険では、100万円を超える請求の場合、賠償責任審査会の審査で有責の判断がなされない限り示談交渉自体ができない。しかも審査に要する期間は半年ないし1年で、そのほとんどが無責の回答。そこでやむを得ず患者から依頼された弁護士は結果が出るのを待たずに提訴することが多い。医師会以外の保険の場合は保険会社の顧問医と顧問弁護士が対応するので示談交渉で解決されるケースも少なくない。
ちなみに私の経験からすれば相談が10件あるとこのうち証拠保全をするのは3件、その後実際に提訴ないし示談交渉するのは1件ないし2件くらい。
2、医療過誤の内訳
医療事故調査会の資料は別紙のとおり。私の経験からしても現在報道されているような患者の取り違え、輸血ミス、薬の誤投与等の単純ミスは極めて少数。診断内容、治療内容のミスがほとんど。
3、患者の被害感情
患者ないし遺族が医療ミスを指摘するのは、意外な結果が生じた場合でかつ感情の問題として生じた結果を受け入れられない場合である。例えば心臓バイパス手術中に血栓がとんで脳梗塞を発症し四肢麻痺になったとする。心臓バイパス手術では一定の確率で不可避的に脳梗塞が発生するが患者はそれを知らない。危険性を術前に十分説明していれば仮に脳梗塞が起きても患者は文句は言わないのが普通。仮に脳梗塞発症発見の遅れ、発症後の治療の不適切等があっても患者は裁判まではやらない場合が多いと思う。ところが合併症発症の危険性やPTCAの適応の有無の説明がなく、術前の検査も不十分という場合には、仮に心臓バイパス手術しか方法がない場合であっても、患者は脳梗塞発症という事態を受け入れられないことが多い。そのような場合には訴訟になることが多い。この意味で患者にとっての医療ミスとは相対的なものかもしれない。
同じ医療ミスでも投薬ミスのような単純ミスの場合は(医療機関との信頼関係があるとの留保付きだが)むしろ患者にとっては結果を受け入れやすい。患者は医師も看護婦も人間である以上過ちは犯すと寛大に受け止めることが多い。
最悪は怠慢型医療過誤。例えば産褥感染症に罹患して1週間抗生剤投与を受け、その2週間後に退院させたが、退院時において下腹部痛は継続しており、超音波検査で両側付属器に腫大が認められ、CRP値も2・6、その後2回通院したが検査は行われず鎮痛剤の処方のみ、2週間後に腹膜炎を発症して両側付属器と子宮摘出となったとする。このような怠慢型のケースでは被害感情は極めて強い。
4、医療過誤は何故減らないのか
医療過誤が起きると医療機関は賠償しなければならないし信用にも傷が付く。それがいやな場合方法は二つある。
ひとつは医療過誤が起きた場合それを隠すこと、ないし隠せない場合は過誤があってもないと言い張って徹底的に争うこと。もうひとつは過誤の原因を探ってそれを教訓に医療過誤の発生自体を少なくすること。
仮にある病院でそれまで年平均10件の医療過誤があったとする。発生率をそのままに隠せるものはできるだけ隠す、争えるものはできるだけ争うということでそのうち2件しか責任を負わないようにすることと、過誤が起きないよう努力して10件を2件に減らすのとはその病院にとって経済的効果は同じ。問題はどちらが容易かである。今は前者の方が容易だから医療過誤はいつまでたっても減らないのだと思う。
近年後者の努力をする医療機関が増えていることは好ましい傾向と思うが、それは必ずしも医療機関の自発的努力によるものとは言い難い。
患者の権利意識の向上と患者側弁護士の技量の向上による勝訴率の増加、それがもたらした医師賠償責任保険の支出の増大(平成4年約35億円が平成9年には約60億円)と保険料の値上げ、すなわち前者の方法を選択した場合のコスト増加が後者の方法へと医療機関を向かわせているのだと思う。
これまで医療機関と保険会社は医療事故を隠すことと争うべきでない事案で争うことに全力を挙げ、そのためにコストを費やしてきた。医師は相互に批判しないし、患者側弁護士には協力してくれないし、裁判で鑑定を求められれば医者側を擁護する偏ったの鑑定を出す。保険会社は裁判で負けない限り保険金を出そうとしなかった。それが心ある医師達の協力によって隠しきれなくなり誤魔化しきれなくなりつつある。カルテ開示が進めばこの傾向はさらに進むと予想される。
アメリカの医療機関で医療過誤防止の努力がなされ、効果を上げているのは何もアメリカの医師が日本の医師に比べて良心的だからではない。医療過誤を起こした場合のコストが大きすぎるために減らそうとしただけである。また保険金を支払う保険会社がそれを強く医療機関に求めたからでもある。
この意味で医療事故の防止は医師や医療機関の個人的な良心の問題ではなく社会のシステムの問題だと思う。
5、医療過誤を防ぐには
患者取り違え、薬剤の取り違え、投薬量のミスなどの単純ミスはヒューマンエラーによる事故。これらはテレビを製造する場合にどんなに品質管理を厳重にしても一定の割合で不良品が発生するの同じで基本的にはシステムの問題。ただ医療のおいてはその過程のほとんどがマンパワーに依存しているのでヒューマンエラーが不可避的である以上この種の事故は絶対になくならない。
対策としては人間は必ず間違える、一つの目的を達成するために複数の人間が関与すればそれだけミスの起こる確率は高まるということを前提に、間違える要因を一つ一つ取り上げてそれに対する対策を講じる以外に方法はない。ヒューマンエラーは大きく分ければ見間違い、読み間違い、聞き違い、記憶違いである。例えば単に文字で区別するしてあったものを色で区別するようにしたり、必ず声に出して読むようにしたり、言われたことを復唱するようにしたりすればミスは減らせるはずである。投薬前に薬剤名を指で指し、名前を口にするだけでも投薬ミスを防げるのではないかと思うが素人考えであろうか。
また単純ミスがどのような場合に生じるかは現場の人間にしか分からないし、また他人の失敗はその人が言わなければ分からない。簡単に言えばヒューマンエラーに属することであれば絶対に咎めないという前提で全てのニアミスについて報告させ(匿名でもよいと思う)、それを全員に公開し、現場の人間に自分で問題点を発見させ、改善方法を考えさせ、実施して、その結果を常に検証させることが重要となる。
診断ミス、治療ミスについては診断方法治療法の基準化とその遵守である。今日の診断指針、今日の治療指針という本があるがそれに書いてあることをやっていれば医療過誤で訴えられることはないし、訴えられても負けることはないだろう。
安全対策には当然人手とコストがかかる。人も増やさずコストもかけずに済むなら苦労はない。安全のためのコストは医療費に跳ね返るがそれがいやだという国民はいないはず。医療過誤の被害者がいくら声を上げてもしょせんは少数意見であり医療システムの改善には結びつかない。医療機関も、医療現場の実態を国民に知らせ医療の安全にコストをかける必要があることを積極的に訴える努力をする必要がある。