坂野法律事務所|仙台|弁護士|

【営業時間】平日09:00〜17:00
022-211-5624

最高裁医療過誤判例分析

平成11年3月23日第3小法廷判決 神経減圧術後の脳内血腫による死亡

顔面痙攣の根治術である脳神経減圧術を受けた後脳内血腫を生じ死亡した事案。

(最高裁平成11年3月23日第3小法廷判決、破棄差し戻し、一審神戸地裁平成6年8月26日判決、二審大阪高裁平成7年12月1日判決)

第1、当事者
   被上告人 国及び担当医師(医療機関 神戸大学医学部付属病院)
   被害者  男性A(昭和8年生)

第2、治療経過の概要
   昭和52年ころから右側顔面痙攣に罹患し、神戸大学医学部付属病院で通院治療。
   昭和57年5月17日同病院で根治手術である神経減圧術施行。
   同日午前9時50分手術開始、Aの右後頭部の頭蓋骨に約4㎝四方の穴を開けて硬膜を切開し、脳ベラを使用して右小脳を開排し、顕微鏡を使用しながら小脳橋角部に達し、顔面神経と脳動脈との接触部分等を剥離してその間に項部筋の小肉を挟んだ上開頭部を閉鎖し、午後3時50分終了。
   カルテに手術中の出血総量906ミリリットル、午前零時までの出血総量516ミリリットル、午後1時15分の欄に150ミリリットル、午後2時45分の欄に150ミリリットルの記載。
   同月18日午前零時ころ、小脳上槽、小脳虫部の上部周辺及び第4脳室に生じた血腫のために閉鎖性水頭症になり、頭蓋内圧亢進して危篤状態。
   同日脳室ドレナージ、後頭蓋か外減圧術施行。
   意識回復せず同年7月20日死亡。
   同日病理解剖。

第3、争点
   脳内血腫を生じた原因は何か。術者の手術手技の誤りかそれとも高血圧性脳内出血か。

 1、上告人の主張
  ① 小脳片葉に脳ベラをかけて牽引する際脳ベラで小脳を強く圧迫する等の操作の誤りにより小脳に出血を生じさせた。
  ② 前下小脳動脈を剥離する作業中に誤ってこれを損傷して出血させ、その止血が不十分。

 2、被上告人の主張
  ① 脳ベラをかけた位置は右小脳半球の外側であり小脳片葉にはかけておらず、また血腫の発生部位は小脳正中部であるから脳ベラ操作が原因で発生したものではない。
  ② 異常な出血は認められず、前下小脳動脈を損傷した事実はない。

第4、原審の判断
  ① 5月17日午後11時30分の時点でのAの脳内血腫は小脳正中部及び傍正中部の位置に形成されており、本件手術部位である小脳橋角部と血腫の位置は近接しているとは言い難い。本件が顕微鏡下の手術であること等を考えると手術部位である小脳橋角部と血腫のある小脳正中部及び傍正中部が近接しているとは言えない。
  ② 鑑定人の証言によれば「CT上小脳橋角部には血腫はない、血腫は小脳正中部に存在し、第4脳室及びくも膜下腔にまで及んでいるが小脳橋角部から出血した場合には普通その位置がずれるはずの第4脳室がずれていないので小脳虫部から出血して第4脳室を穿破したと思われる」とされている。
  ③ 本件手術では髄液の排出により十分な小脳の陥没がえられたと認められる。 仮に脳ベラが小脳片葉にかけられていたとしても、脳ベラの使用が原因となって血腫などが発生するのは脳ベラがかけられた近傍部特に直下の部位であるところAの小脳片葉周辺に血腫があったとは認められない。
  ④ 剖検報告書に「両側上向性ヘルニア。これは右側に強い」との記載があるがこの記載だけをもって小脳右側に過剰な圧迫が加えられたと認めることはできない。
  ⑤ 出血量についての午後1時15分の150ミリリットルとの記載は硬膜内操作中の出血量ばかりとは認めがたい。
  ⑥ 少ないとはいえ小脳に高血圧性脳内出血の発生する確率は約1割程度は存在し、術前に一時的に高血圧が認められ、病理解剖で動脈硬化が認められることに照らせば、予期せぬ高血圧性脳内出血などが本件血腫の原因となったと推測することは不自然ではなく結論として本件手術中に上告人主張の誤りにより脳内血腫を生じさせたと認めることはできない。

第5、上告審の判断
 1、過失を推定させる事実
  ① 顔面けいれんの根治手術である本件手術は、小脳橋角部において顔面神経と脳動脈の接触部分をはく離するもので、脳べラで小脳半球を開排し、手術器具で後頭蓋窩深部の脳動脈に触れる手術であるため、生命にかかわる小脳内血腫、後頭部硬膜外血腫等を引き起こす可能性がある。
  ② 本件手術は、Aの右小脳を脳べラで開排して右小脳橋角部において脳動脈に触れるなど、術中操作は小脳右半球及び右小脳橋角部に及ぶものであるところ、Aは術後間もなく、小脳上槽、小脳虫部の上部周辺及び第四脳室に血腫が生じ、神経減圧術によって引き起こされる可能性が指摘されている小脳内血腫を起こしたことが認められ、翌日には、小脳右半球の突出が強く右側小脳ヘルニアが認められるなど、小脳橋角部の近傍部及び右半球の異常が確認され、遺体の病理解剖においても、小脳虫部及び右半球に出血壊死性変化が強く見られると指摘されるなど、Aの脳の病変が手術操作を行った側である小脳右半球に強く現われていることが明らか。
  ③ 内科においても高血圧症とは認められず、術前に本件手術中に高血圧性脳内出血を起こす素因があることを確認されていないから本件手術中に高血圧性脳内出血を起こす可能性自体低い。高血圧性脳内出血のうちそれが小脳に発生する確率は、約一割程度にすぎず、本件手術中ないし直後に偶然、Aに高血圧性脳内出血等が起きる可能性は実際上極めて低い。
  ④ 遺体の病理解剖によっても、Aの小脳に生じた血腫の原因となる明らかな動脈りゅうや動静脈奇形の所見は認めず、本件手術中に偶然、動脈硬化等による血管破綻が生じた可能性についての具体的立証がなされているわけではない。
   「以上のようなAの健康状態、本件手術の内容と操作部位、本件手術とAの病変との時間的近接性、神経減圧術から起こり得る術後合併症の内容とAの症状、血腫等の病変部位等の諸事実は、通常人をして、本件手術後間もなく発生した太郎の小脳内出血等は、本件手術中の何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせるものというべきである。」
   「結局、原審は、本件手術操作の誤り以外の原因による脳内出血の可能性が否定できないことをもってAの脳内血腫が本件手術中の操作上の誤りに起因するのではないかとの強い疑いを生じさせる諸事実やその他の事実を軽視し、上告人らに対し、本件手術中における具体的な脳べラ操作の誤りや手術器具による血管の損傷の事実の具体的な立証までをも必要であるかのように判示しているのであって、Aの血腫の原因の認定に当たり前記の諸事実の評価を誤ったものというべき。」

 2、出血について
  ① 硬膜内において顔面神経とこれに接触する脳動脈をはく離するという本件手術の硬膜内操作中は、項筋からの出血は止血済みであり、メスによる切除、切開等、出血を伴う操作を行うものではないから、出血が生ずることはほとんどないにもかかわらず本件手術の総出血量は九〇六ミリリットル。
  ② 本件手術記録には、少なくとも硬膜内操作中であることが明らかな午後一時一五分に一五〇ミリリットルの出血量が記録されており、硬膜内操作中の手術器具による血管損傷の有無が争われている本件において右記録を軽視することはできない。右測定記録に関する原審の認定は、右記録の読み方としては不自然。

 3、血腫の位置と手術部位との関係
  ① 原審の血腫の位置の認定は鑑定人白馬明の鑑定及び同人の証言に依拠したものであることが明らかである。しかし診療録には、本件手術当日午後一一時三O分に施丘されたCTスキャンの結果について・・・の所見を認めたとの各記載がある。これらの各記載と脳内の構造に照らせば、血腫は、小脳正中部及び傍正中部のみならず、手術部位である小脳橋角部を含む第四脳室周囲にもあることがうかがわれる。また、同じく診療録には、同月二〇日に施行されたCTスキャンの結果を表した見取り図があるが、この図には小脳右半球に血腫が存在する旨図示されている。以上によれば、診療録中に血腫に関する前記記載があるにもかかわらず、これを検討することなく、鑑定人白馬の鑑定及び同人の証言から直ちに、血腫の位置は小脳正中部及び傍正中部にあるとした原審の認定は、採証法則に反するものといわなければならない。
  ② 「なお、鑑定人白馬の鑑定は、診療録中の記載内容等からうかがわれる事実に符合していない上、鑑定事項に比べ鑑定書はわずか一頁に結論のみ記載したもので、その内容は極めて乏しいものであって、本件手術記載、AのCTスキャン、その結果に関する被上告人丙川、同乙山らによる各記録、本件剖検報告書等の記載内容等の客観的資料を評価検討した過程が何ら記されておらず、その体裁からは、これら客観的資料を精査した上での鑑定かどうか疑いがもたれないではない。したがって、その鑑定結果及び鑑定人の証言を過大に評価することはできないというべきである。」

 4、血腫発生の原因
  ① 脳ベラをかけた部分あるいはその近傍部に限らず、離れた部位に発生することもあり得るのであるから、脳べラをかけた場所の直下あるいは近傍部に血腫が存することは認められないとの原審の認定を前提としても、脳ベラの操作と血腫の発生との関連性を一概には否定できない。
  ② 証人白馬は、本件手術部位である右小脳橋角部と血腫が認められる第四脳室との距離がわずか一センチメートル余であると証言している。原審は、顕微鏡下での手術であること等を理由に、近接しているとはいい難いとしているが、手術部位と原審認定の血腫の位置との距離は、手術中の血管損傷等による血腫発生の疑いを否定し得るほどの距離とは評価し難い。

 5、小脳橋角部からの出血の有無
   診療録には、被上告人乙山による「くも膜下出血(術創部)が脳室内に逆流して来たと考えられる」との記載があり、右は、被上告人乙山が当時、上告人らの主張のとおり手術部位から出血したものと考えていたことをうかがわせる。したがって、診療録に右記載があるにもかかわらず、これに触れることなく上告人らの前記主張を裏付けるに足りる証拠がないとした原審の判断は、採証法則に反する。

 6、結論
   「以上によれば、本件手術の施行とその後のAの脳内血腫の発生との関連性を疑うべき事情が認められる本件においては、他の原因による血腫発生も考えられないではないという極めて低い可能性があることをもって、本件手術の操作上に誤りがあったものと推認することはできないとし、Aに発生した血腫の原因が本件手術にあることを否定した原審の認定判断には、経験則ないし採証法則違背があるといわざるを得ず、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。」

第6、本判決の意義
 1、過失の事実上の推定
「以上のようなAの健康状態、本件手術の内容と操作部位、本件手術とAの病変との時間的近接性、神経減圧術から起こり得る術後合併症の内容とAの症状、血腫等の病変部位等の諸事実は、通常人をして、本件手術後間もなく発生したAの小脳内出血等は、本件手術中の何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせるものというべきである。」「本件手術中に偶然、動脈硬化等による血管破綻が生じた可能性についての具体的立証がなされているわけでもない。」との判示部分は、手術操作の誤りの有無が争点となる医療過誤訴訟において一定の要件の下に過失を事実上推定し、立証責任を事実上転換して患者側の立証責任の軽減を図ったものと評価しうる。過失の事実上の推定の法理は学説上も一般に承認され下級審でも採用されているが、本判決は最高裁が正面からこの法理を認め具体的な適用範囲を示したと評価してよい。この判決の射程としては過失一般について妥当すると考えられるし、また因果関係が争点となる事案にも妥当すると思われる。
 もっともある医療行為から予想外の結果が生じた場合一般について過失の推定を認めたものとまでは評価できず、患者側で過失を推認させる間接事実を「通常人をして強い疑いを抱かせる」程度まで立証できた時に過失が事実上推定され、立証責任が事実上転換されると考えるべきであろう。

 2、患者側の立証対象の限定
「通常人をして、本件手術後間もなく発生したAの小脳内出血等は、本件手術中の何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせるものというべきである。」「結局、原審は・・・・軽視し、上告人らに対し、本件手術中における具体的な脳べラ操作の誤りや手術器具による血管の損傷の事実の具体的な立証までをも必要であるかのように判示しているのであって、Aの血腫の原因の認定に当たり前記の諸事実の評価を誤ったものというべき。」との判示部分は、具体的な手術手技の誤りの内容を特定することは不要として患者側の立証責任を軽減したものと評価しうる。
   医療過誤訴訟ではしばしば医療側から過失の内容を具体的に特定せよとの要求がなされる。しかし診療録や手術記録の記載が杜撰な場合は具体的な特定が不可能な場合もある。この判決はそのような場合に極めて有効と思われる。もっともこの判決も無前提に手技の詳細の立証が不要としているかは疑問であり、何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせる場合にはとの留保付きと読むべきであろう。

 3、鑑定の過大評価を否定
 「なお、鑑定人白馬の鑑定は、診療録中の記載内容等からうかがわれる事実に符合していない上、鑑定事項に比べ鑑定書はわずか一頁に結論のみ記載したもので、その内容は極めて乏しいものであって、本件手術記録・・・・等の客観的資料を評価検討した過程が何ら記されておらず、その体裁からは、これら客観的資料を精査した上での鑑定かどうか疑いがもたれないではない。したがって、その鑑定結果及び鑑定人の証言を過大に評価することはできないというべきである。」との判示部分は鑑定結果による安易な事実認定を戒め、その体裁、内容ことにカルテ等の客観的資料との整合性の吟味の重要性を指摘している。
 本件鑑定書は1頁に僅か12行しか記載されていおらず、事実認定に供するには論外というべきもので、他の証拠を排斥してこれに基づいて事実認定した原審は、鑑定と名が付けば何でもよいという一部下級審の傾向を如実に示している。この判決はかかる姿勢を批判したもので杜撰な鑑定がなされた場合に有効に使えると思われる。

 4、他原因が主張された場合の事実認定の在り方
「本件手術の施行とその後のAの脳内血腫の発生との関連性を疑うべき事情が認められる本件においては、他の原因による血腫発生も考えられないではないという極めて低い可能性があることをもって、本件手術の操作上に誤りがあったものと推認することはできないとし、Aに発生した血腫の原因が本件手術にあることを否定した原審の認定判断には、経験則ないし採証法則違背がある」との判示部分は、医療機関側が患者側と異なる原因を主張する場合、患者側がその不存在を立証する必要はなくむしろ医療機関側に立証責任があるものする趣旨と読める。

以上