平成28年12月26日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成25年(ワ)第1219号 損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成28年9月15日
判 決
原 告 ● ●
同訴訟代理人弁護士 坂 野 智 憲
同 三 浦 じ ゅ ん
同 熊 谷 優 花
同訴訟復代理人弁護士 秋 場 麗 湖
仙台市泉区泉中央一丁目34番地の1
被 告 医療法人社団三好耳鼻咽喉科
クリニック
同代表者理事長 三 好 彰
同訴訟代理人弁護士 野 中 信 敬
同 安 田 修
同 辻 美 和
同 川 見 友 康
主文
1 被告は, 原告に対し,6156万9380円及びこれに対する平成23年8
月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負
担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
被告は,原告に対し, 6847万3582円及びこれに対する平成23年8
月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告の子である●●(以下「●」という。)が被告の設置管理
する三好耳鼻咽喉科クリニック(以下「本件クリニック」という。)において
耳管通気処置を受けた際に心肺停止となり,その後死亡したことにつき,同ク
リニックの医療従事者に適切な救命措置を行わなかった過失があったとして ●の相続人である原告が,被告に対し,不法行為又は診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求として,6847万6582円及びこれに対する平成23年8月30日 (●の死亡日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実 (争いのない事実又は証拠等によって容易に認定することができる
事実。証拠等を掲記しない事実は,争いのない事実である。以下,各証拠等に
付記された【 】内の数字は該当頁を示す。)
(1) 原告は,●(11歳)の父である。
(2) 被告は,本件クリニックを設置管理する医療法人であり,三好彰医師(以
下「三好医師」という。)は,本件クリニックの代表者である。
(3) ●は,平成23年8月7日,本件クニックを受診し,三好医師による
耳管通気処置 (金属のカテーテルを経鼻的に耳管咽頭口部に導入して空気を
中耳腔に送り込む処置。甲B3【2】)を受けた。
●は,同日16時38分ないし39分頃,右耳管通気が終了した際に意
識を消失し,脈拍の感知がない状態となった。このため,本件クリニックの
看護師が●に対し,胸骨圧迫による心臓マツサージを行うなどの処置を実
施した。
●は、同日16時50分頃に脈拍が復活し,上記処置の間に被告が行っ
た救急要請により同日16時55分に到着した救急隊によって,仙台徳洲会
病院に搬送された(甲A3, 4【28】,5【8】)。
(4) その後,●は,仙台医療センターに転送され,平成23年8月8日,両
側外減圧術を受けたが,同月30日死亡した。
(5) 気脳症とは,頭蓋内に空気又は気体が貯留し,それによる症状が発生した
状態をいう (甲B5)。
一次救命処置とは,心停止や窒息等の生命の危機に瀕している傷病者に対
し,呼吸と循環をサポートするために直ちに行う一連の処置をいい,二次救命処置とは,一次救命処置では心拍が再開しない傷病者に対し,医療従事者
が薬剤や医療機器を用いて行うものをいう (甲B8の1【2】,甲B9【1】, 甲B31)。
死戦期呼吸とは,心肺停止直後にときおり認められる, しゃくりあげるよ
うな不規則な呼吸をいう (甲B8の1【3】,甲B8の2【10】,甲B16,【1】,甲B26【997】)。
2 争点
(1) 被告の過失
本件クリニックの医療従事者が●に対し①人工呼吸を行わなかった過
失,②バッグバルブマスク換気を行わなかった過失,③救急隊に引き継ぐま
で心肺蘇生を継続すべきであるのにこれを中断した過失,④有効な胸骨圧迫
を行わなかった過失又は⑤静脈路の確保と薬剤投与を行わなかった過失が認
められるか。
(2) 被告の過失と●の死亡との間の因果関係
(3) 損害の発生及び額
3 争点に関する当事者の主張 (1) 被告の過失
本件クリッツクの医療従事者が●に対し①人工呼吸を行わなかった過失,②バッグバルブマスク換気を行わなかった過失, ③救急隊に引き継ぐまで心肺蘇生を継続 すべきであるのにこれを中断した過失, ④有効な胸骨圧迫を行わなかった過失又は ⑤静脈路の確保と薬剤投与を行わなかった過失が認められるか。
ア 原告の主張
本件クリニックの医療従事者には,下記①ないし⑤の注意義務があった
にもかかわらず, これを怠つた過失がある。
① 被告は,平成23年8月7日16時38分ないし39分頃に耳管通気
終了後に●の顔が下方に傾き, 呼名しっつ胸部を叩き刺激するが反応
がなく,二,三度詰まったような呼吸があると確認された時点で,●
に対し,気道を確保して15:2の比で胸骨圧迫と口対口の人工呼吸を
開始すべき注意義務があった。
② 換気効率の点ではバッグバルブマスクの方が口対口の人工呼吸よりも
優っており,本件クリニックの医療従事者はこれを行うべき注意義務が
あった。なお, 耳鼻咽喉科では小児患者に対しアナフィラキシーショッ
クなどの薬剤過敏性ショツクを発症しうる薬剤も使用するのであるから,
PBLS(小児の一次救命処置) を用いる可能性がある環境にある。
③ 本件クリニックの医療従事者は,同日16時50分頃に●の自発呼
吸が回復し脈拍を触知したのでCPR(心肺蘇生) を中止したと考えら
れるところ, この時点のSp02(経皮的動脈血酸素飽和度) は63%とい
う著しい低値であり,救急隊員が接触した同日16時56分の時点でも
80%という低値で,呼吸状態も喘鳴で正常な呼吸とはいえないから,
CPRを継続すべき注意義務があった。
④ CPRにおいて正しい心臓マッサージを行うには,上半身を術者の両
肩を結ぶ線が月向骨の直上になるように患者の直上に乗り出し, 肩・肘・
手を一直線に伸ばして,上半身全体を使って胸骨を圧迫しなければなら
ず, 本件クリニツクの医療従事者には, 心停止した●に対し, そのよ
うな方法による有効な胸骨圧迫を行うべき注意義務があった。しかるに,
本件クリニックの看護師が●に対し行った的骨圧迫は,そのような動
作を取らずに,励ましたり,叩いたり,ゆすったりしているだけであり,
有効な胸骨圧迫が行われたということはできない。
⑤ アナフィラキシーショック等の薬剤過敏性ショックを発症しうる薬剤
も使用する耳鼻咽喉科においては, 適切な二次救命処置を実施できるだ けの設備・人材を備えることが強く求められるところ,被告は、●に
対し,二次救命処置として,静脈路の確保と,アドレナリンを第一選択
とする薬剤投与を行うべき注意義務があった。
イ 被告の主張
被告に上記①ないし⑤の過失があったとする原告の主張は,すべて争う。
救急医療の専門家が行うものではない段階におけるCPRにあっては,
胸骨圧迫のみによる蘇生が推奨された時期もある。心臓マッサージとマウ
ストゥマウスの人工呼吸を組み合わせて行うには,舌根沈下による換気不
良, 胃内容物吐瀉による誤嚥を防ぎながら行う必要があり, 講習等で技術
を会得していない場合には, 医師であっても困難とリスクを伴う。
本件クリニックにおいては,胸骨圧迫によるCPRの講習を受けていた
看護師が●に対し心臓マッサージを行ったものであり,そのため心拍と
呼吸が再開されSp02が計測されていたのである。なお,被告がCPRRを
やめたという事実は争わない。
(2) 被告の過失と愛夢の死亡との間の因果関係
ア 原告の主張
本件においては, 耳管通気処置の際に, 加圧された空気が, 先天的に存
在していた右中耳の硬膜露出部から大脳周囲に進入し気脳症となったこと
が発端であるところ,気脳症の刺激が自律神経反射として心停止を引き起
こし,脳血流障害から意識消失と呼吸停止に至つた。このときの蘇生措置
が不十分だったことにより,低酸素脳症となり脳浮腫が進行し,頭蓋内圧
が亢進して脳死状態となった。
本件において脈拍が復活した際に測定されたSp02が63%という状態
は,高度の低酸素血症を意味し,心肺停止した12分ないし14分の間は
これ以下か, あるいは測定できない程低かったことを示しているのであっ
て,このような5分を超える低酸素血症が重度の低酸素脳症を来すことに
疑いの余地はない。
被告の指摘するCT画像からは頭蓋内圧亢進による虚血や脳浮腫がある
ことは分かるが,その原因が気脳症だと特定することなど不可能であるし,明らかに両側性に低吸収域が認められ,現に,仙台医療センターにおいて,
●に対し右側減圧術のみでなく両側開頭減圧術が行われているから,浮
腫が両側性でなく右側で見られるなどとする被告の主張には根拠がない。
また, 被告は, 気脳症により脳圧が亢進し,これによる脳幹部への圧力
のため, 呼吸中枢の障害が生じた旨主張するが,本件の気脳症は脳症をを急
激に上げて中枢神経機能に直接的に重大な影響を与えるほどの重症なもの
ではなかったし, 呼吸中枢である脳幹部に呼吸停止をもたらすほどの障害
が発生したとしたら,心肺蘇生で短時問に呼吸が戻るということは考えら
れない。
イ 被告の主張
本件においては,気脳症による急激な圧力負荷が, 脳幹部へのダメージ
を与えたものである。すなわち,気脳症による脳異常(脳圧亢進, 組織侵
入)が原因となって呼吸困難(呼吸中枢異常と肺水腫)を生じ,時間経過
による気脳症領域の減少と脳圧変化から改善は見たが,気脳となった右側
に脳浮腫が生じるなど,気脳症により脳に対して与えたダメージの回復に
までは至らなかった。したがって,仮に理想的な人工呼吸が行われていた
としても,また,薬剤投与を行ったとしても,現実の結果は変わらなかっ
たというべきである。
●については,本件クリニックにおいて心停止となった後に自発呼吸
が維持されている時間が相当あった (死戦期呼吸の場合は1分あたり5回
程度の呼吸数であり,●の場合はそれよりずっと呼吸回数が多かった。)
のであり,不十分ながら換気がされ,,胸骨圧迫も行われていたため,循環
は不十分ながらも維持されていた。このことは,心拍再開時の Sp02 が6
3%に及んでいたことからも明らかである。 低酸素血症ならば看取される
はずのチアノーゼ症状も, 本件では観察されていない。
心停止時間が10分程度でも心拍が再開できれば,通常は脳死に陥るこ
とはないのであり,●につき上記のとおり循環が維持され,本件クリニ
ックにいる間に心拍再開, 呼吸再開をしていたことからすると, 単に自律
神経反射からくる心停止であったとするには, その後の経過が悪すぎる。
心停止の翌日 (平成23年8月8日)の●の頭部CT画像では、脳の相
当部分が真っ黒(血流がないことを意味する。)に写っており, 心停止時間
が最長でも約12分であった症例とは思えないほど悪い状態であった。
本件における気脳症の部位は耳管通気側である右側の脳であり,脳浮腫
が出たのも右側であるため,右側開頭減圧術が行われている。心臓由来の
低酸素血症による脳浮腫であったならば両側性に浮腫が生じるものであっ
て, 浮腫が右側のみに発生するはずはない。
(3) 損害の発生及び額
ア 原告の主張
(ア)死亡慰謝料 2200万円
●は11歳の前途ある少女であり,その死亡による精神的苦痛を慰
藉する には上記金額が相当である。
(イ) 近親者慰謝料 400万円
●の父親である原告が,11歳の娘を失った精神的苦痛を慰藉する
には上記金額が相当である。
(ウ) 逸失利益 3216万7665円
●は死亡当時11歳であり,逸失利益は次のとおり算出される。
(計算式)
平成23年度賃金センサス女性全年齢計・全学歴計平均年収355万
9000円×11歳に対応するライプニッツ係数12.912×(1-
生活費控除率0.3)= 3216万7665円
(エ) 葬儀費用 367万7502円
(オ) 治療費 12万0215円
仙台徳洲会病院分 1万0500円
仙台医療センター分 10万9715円
(カ) 入院雑費 3万6000円
(計算式)
1日につき1500円×24日=3万6000円
(キ) 付添看護費 21万6000円
平成23年8月7日から同月30日までの24日間,少なくとも1名
の近親者が24時間付き添った。●が児童であり,極めて重篤な状態
であったことも考慮すべきである。
(計算式)
9000円×24日=21万6000円
(ク) 付添雑費 3万1200円
(計算式)
付添用レンタル寝具などで1日につき要した1300円×24日=3
万1200円
(ケ) 弁護士費用 622万5000円
被告の過失と相当因果関係を有する弁護士費用として,上記(ア)ないし
(ク)の合計額の約1割に相当する622万5000円が相当である。
(コ) 合計額 6847万3582円
イ 被告の主張
争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
上記前提事実に,後掲各証拠及び弁論の全趣旨を併せると,以下の事実が認
められる。
(1) ●は,平成21年10月3日に本件クリニックを受診して両滲出性中耳
炎,慢性副鼻腔炎,鼻アレルギーとの診断を受け,同日を含め平成23年8
月7日に至るまでの間,15回にわたって通院し,うち13回において耳管
通気処置を受けていた(甲A4,5【6, 7】, 甲B1【1】)。
(2) 平成23年8月7日,●は,本件クリニックを受診し.当日の本件ク
リニックの人員は,三好医師のほか,看護師3名。以下,いずれの看護師についても,単に「看護師」という。) ,臨床検査技師1名,事務員1名であり,●が下記のとおり意識を消失した以降,同人らがその対応に当たった(甲A5【8】, 乙B5, 乙A1 )。
同日16時37分頃, 三好医師が●に対し, 耳管通気処置を開始し,16時38分ないし39分頃, 右耳管通気を終了した時に●の顔が下方に傾いた。
看護師が呼名しつつ胸部を叩き刺激したが, ●は反応なく意識消失の状
態であり,脈拍の感知がなく, 二, 三度つまった様な呼吸があり呼吸抑制が
みられた。看護師は, ●を床に仰向けに寝かせ, 開口させて気道確保し,
胸部を叩いて刺激し,呼名を繰り返した (甲A5【8】)。
16時42分頃,三好医師は●の頸動脈を触れたが脈拍を触知せず,呼
吸停止と判断し,救急要請を行うとともに,舌根沈下を防ぐため舌圧子を看
護師に渡して気道を確保させ(甲A3,甲A4【28】,乙B5),また,
●に対し,口内分泌物の診療ユニットによる吸引,経鼻エアウェイの挿入,
Sp02 測定器の取り付けが行われたが,自発呼吸の回復がみられないため,看
護師が胸骨圧迫による心臓マッサージを開始した (甲A3,甲A5【8】,
乙B5)。
16時50分,脈拍の触知と自発呼吸の回復があり,このとき Sp02 は6
3%であった。 看護師は以後●に対する心臓マツサージを中止し,呼名を
行ったが,●の意識回復はなかった。なお,救急隊が到着するまでの間,
本件クリニックの医療従事者が●に対し人工呼吸を行うことはなかった
(甲A4【28】,甲A5【8】,乙A1,弁論の全趣旨)。
16時55分,本件クリニックに救急車が到着し,16時56分,救急隊
が●に接触した(甲A3)。●の意識レベルはJCS(ジャパンコーマ
スケール)3桁,喘鳴が認められたが自発呼吸あり,脈拍は毎分120回,
総頚動脈で触れる状態であり,●に対しバッグバルブマスクを装着して酸
素投与が開始され,Sp02 は80%→84%→86%と上昇し,17時00分,救急車が本件クリニックを出発した(甲A3)。
(3) 同日17時01分,救急隊が仙台徳洲会病院に到着した。●の Sp02 は
99%,血圧99/69mmHg,心拍数106,意識レベルJCS300で
あった(甲A3,甲A2【6】)。 同病院で撮影された胸部X線では,両
肺野に広範に浮腫がみられ,また,頭部CTでは,主として右側の脳溝に空
気が入り込んでいる像が確認された。同病院の医師の判断により,脳神経外
科において専門的治療を受けさせるため,仙台医療センターに転送されるこ
ととなった(甲A2【7,8】,乙A5)。なお,上記頭部CTの画像上,
特に脳圧の亢進を示すような脳の偏位は見られない (乙A5,証人相引眞幸
【11,56】)。 ,,(4) 同日18時45分,●は仙台医療センターに到着した(甲A3)。
仙台医療センターにおいて,●は,主診断名が気脳症,低酸素脳症,肺
水腫,高度意識障害,入院時併存症としてびまん性脳腫脹と診断された (甲
A1の1【19】)。 同日撮影された頭部CTの画像では,気脳症認めるが仙台徳洲会病院において撮影された上記(3)のCT画像よりはa i rの減少があるとされた(甲
A1の1【22】)。
翌8日(手術前)に撮影された頭部CTでは,両側大脳半球が腫脹し,シ
ルヴィウス裂や鞍上槽を含めて,脳溝,脳槽がほとんど同定できなくなって
いる,右大脳半球優位に脳実質内の d e n s i t y が不均一に低下している。
脳幹の d e n s i t y もやや低下しているように見える,クモ膜下腔の a i
r は判然としなくなっているとさ.れた(甲A1の1【44】)。
同日,●につき両側開頭外減圧術が施行された(甲A1の2)。手術後
の頭部CTでは,両側大脳半球の腫脹はさらに増強し,びまん性に d e n s
i t y が低下している,中脳,橋上部の d e n s i t y も低下しているとさ
れ(甲A1の1【43】),同日,低体温療法が開始されたが翌9日には臨
床的脳死状態となった(甲A1の1【22,33】)。
なお,外減圧術は,頭蓋内容積を規定している頭蓋骨を広範囲に切除する
ことによって,頭蓋内圧亢進を解除しようとする方法であり,頭蓋内圧亢進
の原因が片側にある場合は,同側の片側開頭を行い,原因が両側性,びまん
性の場合は両側開頭が行われる(甲B30【914,915】)。
(5) ●は,平成23年8月30日死亡した。
(6) ●の症例は,一般社団法人日本医療安全調査機構(以下「医療安全調査
機構」 という。) によって,診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業
の対象とされ,平成23年8月31日,東北大学病院において解剖が実施さ
れた。同解割にかかる解割結果報告書(甲B2)において,病理解剖診断と
しては,①脳死に一致する高度の大脳,小脳,脳幹部の軟化壊死(人工呼吸
器脳の所見),②両側前頭部外減圧術後の状態,③右側頭骨背側骨皮質部分
欠損,④慢性乳突洞炎(軽度),⑤両側ショック肺,⑥終末期の全身性循環
不全の所見とされ,死亡原因として直接死因は脳死,基礎死因は急性頭蓋内
圧亢進とされてい((甲B2【5】)。また,左右の側頭骨又は脳底部の骨
と硬膜の所見からは耳管通気カニューレのような器物が側頭骨や脳底部の骨
を貫通又は破壊した所見は認められなかったこと,側頭骨の頸静脈球の内側
に接する部分にあたる側頭骨後壁に欠損が認められ,頭蓋内との境界には硬
膜があるのみで,同部では頸静脈球の硬膜側内側壁も不明瞭化しており,硬
膜により頸静脈球の内側面が直接接する状態であって,この部分に骨皮質欠
損があるものと考えられ,骨欠損部には炎症所見や腫瘍などの後天的に骨を
破壊する病的所見は認められず,先天的な形成欠損と考えられたとされてい
る(甲B2【4】)。
(7) 医療安全調査機構の宮城地域評価委員会(同委員会は,耳鼻咽喉科,脳神
経外科,小児病態学,臨床検査科,法医学,耳鼻咽喉頭頸部外科の各医師計
6名,法律家(弁護士)2名及び総合調整医,調整看護師各1名の合計10
名から構成された。)は,平成25年3月5日,評価結果報告書を作成して
おり,同報告書中には以下の内容の記載がある(甲B1)。
ア 反復する滲出性中耳炎に対する一般的な治療である耳管通気処置の際に,
加圧された空気が先天的に存在していた右中耳の硬膜露出部から大脳周囲
に進入し気脳症となったことが発端とみられる。気脳症の刺激は自律神経
反射として心停止を引き起こし,脳血流障害から意識消失と呼吸停止につ
ながったものと推察される。 発症直後には一連の蘇生処置が行われ,高次
医療機関への救急搬送が行われたが,救急隊到着までの心肺機能の補助が
結果的に不十分なものにとどまり,中枢神経系が限界を超える長時間の低
酸素状態にさらされてしまった可能性が高い。 このため,脳浮腫が続発し
て短時間のうちに月目死状態に陥り,最終的に不幸な転帰をとったと考えら
れる((甲B1【7】)。
イ 脳組織が空気にさらされた状態になることは脳外科手術や頭部外傷時に
はしばしば起こることであり,それ自体がただちに致死的な状況につなが
るものではない。しかし,頭蓋内の環境が急激に変化することになり,自
律神経反射から一次性ショック状態,さらには心停止に陥ることは充分に
考えられる。このため血圧が低下し,中枢神経系の循環障害から意識が消
失し呼吸停止に至ったと考えられる(甲B1【8】)。
ウ 気道確保及び補助呼吸の方法として, 下顎を挙上させる最も基本的なも
のから気管切開による気管内挿管まで多くの段階があるが,本事例では経
鼻的なエァウェイ挿入が行われるにとどまっている。薬剤投与ルートとし
ての静脈確保や,酸素投与は行われてない。院長の指示により二人の看護
師による心臓マッサージが行われているが,アンビューバッグ (バッグバ
ルブマスクの一種) などによる呼吸補助はなく,心臓マッサージの際の胸
郭圧迫で副次的になされる換気のみに依存する状況であった。 れらの対
応は,たとえ耳鼻咽喉科クリニックであるとしても,医療現場に通常求め
られる心肺蘇生措置のレベルとして充分なものであったと評価することは
むずかしい。結果的に,心拍の再開を確認できた16時50分頃までの少
なくとも約12分間は,全身,特に中枢神経系は深刻な低酸素状態に置か
れてしまったものと考えられる(甲B1【9】)。
エ 一般的に,自律神経反射としての心肺停止は,発生しても通常は一過性
で速やかに回復する。したがって,回復するまでの短時間,適切な蘇生措
置によって心肺機能が維持されていれば,急速に脳死に至るような経過を
回避でき,救命の可能性は高まったと考えられる(甲B1【11】)。
オ 酸素投与設備や救急救命措置のための器具を迅速に利用できるように整
備し,緊急事態を想定した訓練を定期的に行い,必要なときに迅速に最善
の対応ができるようにスキルを磨いておくことは決して怠ってはならず,
医療機関を運営していく上では最優先とすべき課題である (甲B1 【1
2】)。
(8) また,医療安全調査機構の宮城地域評価委員会は,上記報告書の説明に際
しての原告からの質問に対する回答として,①基礎死因の急性頭蓋内圧亢進
は,気脳症で起こったものではなく,低酸素脳症により脳浮腫が進行し続発
症として起こったものである,②気脳症の重症度を判定するものとして,頭
蓋内に空気が入ったことで内圧が上がったかどうかが指標の一つとなり,脳
の中央のラインが左右に偏位してしまっているようであれば脳圧が上がって
いたと判定され,また,MRI画像などで脳全体が沈みこむような偏位をし
ている場合にも,脳圧が上がっていたと判定されるところ,今回は,直後の
画像検査でいずれの所見も得られていないことから,本例での気脳症は,脳
圧を急激にあげて中枢神経機能に直接的に重大な影響を与えるほどの重症な
ものであったとはいえないとしている(甲B4【2,3】)。
(9) 一般財団法人日本救急医療財団と日本蘇生協議会(JRC) で構成するガ
イドライン作成合同委員会(甲B6【7】,甲B7【4】)は,救急蘇生の
ための JRCガイドライン2010 (以下「本件ガイドライン」という。)
を作成しているところ,平成23年6月30日に公表された本件ガイドライ
ンの第3章(甲B6【8】)では,小児の一次救命処置(PBLS)に関し
て,以下の内容の記載がある。なお,本件ガイドラインにおいては,1歳か
ら思春期以前(目安としてはおよそ中学生までを含む。) を小児とすると定
義されている(甲B8の2【2】)。
ア 市民救助者が小児に対して心肺蘇生(CRP)を行う場合は,成人と共
通の一次救命処置ガイドラインに従う。ただし,市民のうち小児にかかわ
ることが多い人,すなわち保護者,保育士,幼稚園・小学校・中学校教職
員,ライフセーバー,スポーツ指導者などは,小児BLS(PBLS)ガ
イドラインを学ぶことを奨励する。医療従事者が小児を救助する場合には
PBLSに従う (甲B8の2【6】)。
イ 医療従事者,救急隊員及び日常的に小児に接する市民におけるPBLS
アルゴリズムは,以下のとおりである(甲B8の2,【7以下】)。
1)反応の確認と緊急通報
肩を軽くたたきながら大声で呼びかけても,何らかの反応や目的を持
った仕草が認められなければ,「反応なし」 とみなす。
2)心停止の判断
反応がなく,かつ呼吸がない,あるいは異常な呼吸(死戦期呼吸)が
あれば心停止と判断し,ただちにCPRを開始する。呼吸の確認に10
秒以上かけないようにする。死戦期呼吸は心停止のサインであり,「呼
吸なし」と同じ扱いである。
医療従事者や救急隊員などは,反応のない患者にはまず気道確保を行
ったうえで呼吸の観察を行う。ただし,気道確保に手間取って,呼吸の
観察がおろそかになったり,CPRの開始が遅れないようにするべきで
ある。また,熟練救助者は患者の呼吸を観察しながら,同時に脈拍の有
無を確認する。ただし,脈拍の確認のためにCPRを遅らせてはならな
い。
3)CPR
(1) 胸骨圧迫
すべての救助者は,心肺停止の傷病者に胸骨圧迫を実施するべきで
ある。小児・乳児に対する胸骨圧迫の深さは,胸の厚さの約1/3と
する。1分間当たり少なくとも100回のテンポで行う。胸骨圧迫の
中断を最小限にする。
(2) 気道確保と人工呼吸
人工呼吸の準備ができしだい,気道確保して2回の人工呼吸を行う。
すぐに人工呼吸ができない場合にはただちに胸骨圧迫を開始し,準備
ができしだい,気道確保ののち2回の人工呼吸,を行う。
小児の心肺停止では呼吸原性 (呼吸停止に引き続いて心肺停止とな
るもの。甲B8の2【2】)である可能性が高いので,できるだけす
みやかに気道確保と人工呼吸を開始することが重要である。したがっ
て,院内において心肺停止の危険性がある患者の場合は,ただちに人
工呼吸が開始できる準備を整えておくことが望まれる。
(3) 胸骨圧迫と換気の比
2人の救助者がCPRを行う場合は,胸骨圧迫と人工呼吸の比は1
5:2とする。救助者が1人の場合は,成人と同様に,胸骨圧迫と人
工呼吸の比を30:2とする。人工呼吸ができない状況では,胸骨圧
迫のみのCPRを行うべきである。
ウ CPRは,傷病者に十分な循環が回復する,あるいは救急隊など二次救
命処置を行うことができる救助者に引き継ぐまで続け,明らかに心拍再開
と判断できる反応 (正常な呼吸や日的のある仕草) が出現しない限り,C
PRを中断してはならない(甲A8の2【10】)。
エ 熟練救助者が2人以上でCPRを行う場合はバッグバルブマスクを用い
た人工呼吸を行うことは合理的である。
院内で,小児・乳児の呼吸停止あるいは心停止の可能性が察知されたな
らば,ただちに酸素投与とバッグバルブマスクなどを用いた人工呼吸を開
始できる準備を整えておくべきであ(同記述の推奨度は Class I (4段
階のうち最も高い推奨度),甲B8の2【14】,証人相引眞幸【19,
20】)。
オ 成人心停止患者には,医療従事者であっても,胸骨圧迫の中断を最小に
できないならば人工呼吸よりも胸骨圧追を重視したCPRを施行されるこ
とが推奨されるが,小児・乳児の心停止の多くは呼吸原性であり,低酸素
により心停止に至った傷病者に最良の蘇生を行うには,すみやかに換気と
胸骨圧迫を開始することが要求されるため,小児心停止患者には院内でも
院外でも人工呼吸と胸骨圧迫によるCPRを施行するべきである (Class
Ⅰ。甲B8の2【16,17】)。
(10) なお,本件ガイドライン以外の文献においても,医師,看護師等の医療従
事者は,バッグバルブマスクによる人工呼吸用デバイスに習熟し,定期的に
訓練を受け,必要な場所にこれらを準備しておくべきであるとするものがみ
られる(甲B12【2】,13【1】,14【2】)。
(11) 平成23年8月7日当時,本件クリニックに酸素投与設備及びバッグバル
ブマスクの備え付けはなく,緊急事態への対応の訓練を定期的に行っている
ということもなかった(甲A5)。また,三好医師は,救急蘇生の実地講習
等を受けたことはなかった(乙B5【5】)。
(12) 厚生省特定疾患呼吸不全調査研究班の基準では,室内気吸入下(安静・覚
醒時)で動脈血酸素分圧(Pa02) が60Torr(60mmHg) 以下を呼吸不全と
しており (甲B21【1】,甲B41【12】),また,一般的に,Pa02が
60mmHg 以下もしくは動脈血酸素飽和度(Sa02)が90%以下の場合には,
低酸素血症を予防もしくは是正する必要があり,酸素投与の適応となるとさ
れている (甲B20【1】,22【458】)。なお,パルスオキシメータ
ーにより計測できる Sp02と Sa02は測定条件がよければ近似値をとる。Sp02
の63%はおおむね Pa02の33mmHgに相当する(甲B21【7】,甲B2
2【459】,甲B47)。
2 被告の過失について
(1) 人工呼吸を行わなかった過失について
上記認定事実によれば,平成23年8月7日16時38分ないし39分頃,
三好医師が耳管通気処置によって耳管に送り込んだ空気が,●に先天的に
存在していた右中耳の側頭骨後壁の骨欠損による硬膜露出部から頭蓋骨内の
大脳周囲に侵入したため,その刺激が自律神経反射として●に心停止を引
き起こし,脳血流障害から意識消失と呼吸停止に陥ったことが認められると
ころ,本件ガイドラインにおいて,医療従事者が小児を救助する場合にはP
BLSに従うものとされ,その手順として,反応がなく,かつ呼吸がないあ
るいは異常な呼吸があればただちにCPRを開始し,胸骨圧迫とともに人工
呼吸を行うべきこと,小児の心停止の多くは呼吸原性であり,すみやかに換
気と胸骨圧迫を開始することが要求されるため,小児心停止患者には院内で
も院外でも人工呼吸と胸骨圧迫によるCPRを施行すべきであることが指摘
されていることが認められる。そうすると,●は当時11歳であって本件
ガイドラインにいう小児に該当し,また,本件クリニックは医療機関であっ
て日常的に小児を含む患者の治療を行っており,医師及び複数の看護師とい
った医療従事者が●の意識消失以降の対応にあたったのであるから,これ
らの医療従事者において,●に対し,胸骨圧迫と人工呼吸によるCPRを
実施すべき義務があったというべきである。それにもかかわらず,本件クリ
ニックにおいて,上記医療従事者が●に対し行ったのは胸骨圧迫による心
臓マッサージのみであって,人工呼吸を行わなかったことが認められるので
あり,このような事態をもって被告がその設置管理する医療機関において求
められる上記義務を果たしたと評価することは困難であるといわざるを得な
い。
したがって,被告には,●に対し人工呼吸を行わなかった過失があると
いうべきである。
(2) バッグバルブマスク換気を行わなかった過失について
上記認定事実によれば,本件ガイドラインにおいては,院内で,小児・乳
児の呼吸停止あるいは心停止の可能性が察知されたならば,ただちに酸素投
与とバッグバルブマスクなどを用いた人工呼吸を開始できる準備を整えてお
くべきであることが高く推奨されていること,他の文献においても,医師,
看護師等の医療従事者は,バッグバルブマスクによる人工呼吸用デバイスに
習熟し,定期的に訓練を受け,必要な場所にこれらを準備しておくべきであ
るとするものがみられること,医療安全調査機構の報告書においても,医療
機関を運営していく上で最優先とすべき課題として,酸素投与設備や救急救
命措置のための器具を迅速に利用できるように整備し,緊急事態を想定した
訓練を定期的に行い,必要なときに迅速に最善の対応ができるようにスキル
を磨いておくべきことが指摘されていることが認められ,これらの事情に鑑
みれば,日常的に小児に対する診療を行う医療機関である本件クリニックに
はバッグバルブマスク換気を行い得る準備を整え,医療従事者においてその
使用に習熟しておくべき義務があったというべきである。
しかるに,上記認定事実によれば,平成23年8月7日当時,本件クリニ
ックにバッグバルブマスクの備え付けはなく,緊急事態への対応の訓練を定
期的に行っていることもなく,また,三好医師において救急蘇生の実地講習
等を受けたこともなかったこと,●が上記のとおり呼吸停止に陥った際に,本件クリニックの医療従事者は●に対しバッグバルブマスクによる換気を行わなかったことが認められるのであり,これらの事実からすれば,被告には,その設置管理する本件クリニックにおいてバッグバルブマスク換気を行い得る人的物的態勢を整え,●に対しこれを実施すべき義務を怠った過失があるというべきである。
(3) CPR(心肺蘇生)を中断した過失について
上記認定事実によれば,本件ガイドラインにおいては,PBLSにおいて,CPRは,傷病者に十分な循環が回復する,あるいは救急隊など二次救命処置を行うことができる救助者に引き継ぐまで続け,明らかに心拍再開と判断できる反応,すなわち正常な呼吸や日的のある仕草が出現しない限り,CPRを中断してはならないとされているところ,本件クリニックにおいては,平成23年8月7日16時38分ないし39分頃に上記のとおり16時50分に脈拍の触知と自発呼吸の回復があったとき以降,看護師が以後●に対する心臓マッサージ (胸骨圧迫) を中止していること,同時点におけるSp02は63%という低値であったこと,その後16時56分,救急隊が●に接触した際に喘鳴が認められたことに鑑みれば,上記の胸骨圧迫を中止した段階で,●に正常な呼吸や目的のある仕草が出現していたとはいい難い。
したがって,被告には,その設置する本件クリニックの医療従事者におい
て,平成23年8月7日16時50分時点において,●に対し,胸骨圧迫
を中止すべきでないにもかかわらずこれを中止した過失があるというべきで
ある。
(4) 有効な胸骨圧迫を行わなかった過失について
原告は,本件クリニックにおいて●に対し行われた胸骨圧追は正しい動
作によるものではなく,有効に行われていない旨主張する。
しかしながら,証拠(乙A1) によっても,複数の人物に囲まれる中で看
護師が●に対し行った胸骨圧迫の動作がどのようなものであるかは必ずし
も判然としない上,またその姿勢や動作が仮に望ましいものとは異なってい
たとしても,直ちに有効に機能し得ないものであったとまで認めることは困
難というべきであり,この点に関する原告の陳述書(甲A7)及び本人尋問
の結果を踏まえても,上記看護師が●に対して行った胸骨圧迫について過
失があるということはできない。
(5) 静脈路の確保と薬剤投与を行わなかった過失について
原告は,被告が,●に対し,静脈路の確保と,アドレナリンを第一選択
とする薬剤投与を行うべきであるにもかかわらずこれを行わなかった旨主張
する。
この点,確かに,証拠(甲B31,39,40)によれば, 日本医師会に
おいて,医師による効果的な救命処置・治療の実施を推進することで,救急
患者の救命率及び社会復帰率の向上に資することを日的として,会員の生涯
教育として二次救命処置教育を位置づけ,研修が行われていること,日常的
に蘇生を行う者はもちろん,できるだけ多くの者が標準化された二次救命処
置の手順を修得しておく必要があり,その手順として,CPRを継続しなが
らすみやかに静脈路を確保すること,心停止に対する薬剤 (最初に投与が考
慮される薬剤はアドレナリン) 投与をリズムチェックののち可及的すみやか
に実施することを挙げる文献があることが認められる。
しかしながら,他方,本件ガイドラインにおいては,小児の二次救命処置
(PALS) の手順に関し,CPRを継続しながらすみやかに薬剤投与経路
として末梢静脈路又は骨髓路を確保するとされてはいるものの,アドレナリ
ンについては生存退院や神経学的転帰を改善するという根拠は乏しいが,心
拍再開率と短期間の生存率を改善するというエビデンスがあるので,心停止
患者では投与を考慮してもよいとされるにとどまっており,その推奨度は
ClassⅡ b (4段階のうち下から2番目の推奨度) とされていること (甲B
8の2【21,32】)などに鑑みると,本件において,被告がアドレナリ
ンの投与とこれに向けた静脈路の確保を行わなかったことについて,直ちに
過失があるとまで評価することはできず,原告の上記主張は採用することが
できない。
3 被告の過失と●の死亡との間の因果関係について
(1) 上記認定事実によれば,平成23年8月7日16時38分ないし39分頃
に●は心停止による脳血流障害から意識消失及び呼吸停止に陥り,16時
50分に脈拍の触知と自発呼吸の回復があった時点で Sp02 は63%であっ
たこと,16時56分に救急隊が●に接触して,バッグバルブマスクを装着して酸素投 与が開始され,Sp02は80%→84%→86%と上昇したこと,一般的に,動脈血酸素飽和度 (Sa02) が90%以下の場合には酸素投与の適応となり,Sp02の63%は Pa02の33mmHg に相当する重篇な呼吸不全の状態を意味することを考慮すれば,●が,本件クリニック内で心停止及び呼吸停止に陥ってから,救急隊によるバッグバルブマスク装着及び酸素投与が行われるまでの間,深刻な低酸素状態に置かれたことが認められる。このことと,解剖の結果,●の死亡原因として直接死因は脳死,基礎死因は急性頭蓋内圧亢進とされ,医療安全調査機構の報告書及び回答において,気脳症の刺激が自律神経反射として心停止を引き起こし,脳血流障害から意識消失と呼吸停止につながり,救急隊到着までの心肺機能の補助が不十分なものにとどまったことから,中枢神経系が限界を超える長時間の低酸素状態にさらされてしまったため,脳浮腫が続発して脳死状態となったものであり,一般的に,自律神経反射としての心肺停止は,発生しても通常は一過性で速やかに回復することから,回復するまでの短時間,適切な蘇生措置によって心肺機能が維持されていれば,脳死に至るような経過を回避でき,救命の可能性は高まったとされていることからすれば,●について気脳症の刺激が自律神経反射として心停止を引き起こし,脳血流障害から意識消失と呼吸停止に至った際,被告の上記2(1)ないし(3)の各過失により蘇生措置が不十分なものにとどまったことにより重篤な低酸素脳症となり脳浮腫が進行し,頭蓋内圧が亢進して脳死状態となり死亡に至ったことが認められるから,被告の上記2(1)ないし(3)の各過失と●の死亡との間に因果関係を認めることができる。
(2)
ア これに対し,被告は,気脳症による急激な圧力負荷が脳幹部へのダメー
ジを与えたことで●の死亡が招来されたとして,上記認定に係る●の
死亡に至る機序を否定する。
しかしながら,被告の主張において,脳幹部へのダメージとされるもの
の具体的内容が必ずしも明らかでない上,上記1(3)で認定したとおり,平
成23年8月7日16時38分ないし39分頃の●の異変発生から約22分ないし23分後の17時01分には仙台徳洲会病院への転送が行われており,そこで撮影されたCT画像上,特に脳圧の亢進を示すような脳の,偏位は見られないのであって,医療安全調査機構の回答において,同画像所見等を根拠に,●の基礎死因である急性頭蓋内圧亢進が気脳症で起こったものではなく,低酸素脳症により脳浮腫が進行し続発症として起こったものであり,同気脳症は,脳圧を急激にあげて中枢神経機能に直接的に重大な影響を与えるほどの重症なものであったとはいえないとされていることに鑑みても,気脳症が被告の主張するような重症なものであったと認定することは困難といわざるを得ない。
イ また,被告は,上記機序を否定する理由として,本件クリニックにおい
て自発呼吸が維持されている時間が相当あることや,胸骨圧迫を行ったこ
と,チアノーゼ症状が観察されなかったこと,心拍再開時の Sp02が63
%であったことなどを挙げ,また,平成23年8月8日の●の頭部CT
画像において,脳の相当部分が真っ黒に写っているなどとする。
しかしながら,被告の●に対するCPRが撮影された動画(乙A1)
を検討しても,●の周囲の多数の人物がそれぞれに呼名を行うなど種々
の発声をしている中から,●の呼吸にかかる音声のみを十分に聞き分け
ることは困難といわざるを得ず,被告代理人作成の「被告クリニック内定
点撮影動画及び音声 呼吸に関連する音声及び看護師・父母らの声がけ内
容の対応概要」と題する文書 (乙A4) に記載されているとおりの呼吸に
関連する音声につき,これらの全てを●が発していると認定することは
困難である。また,一般的に死戦期呼吸においても一定程度の換気は行わ
れること (甲B26【998】,乙B6の3【8】), ●に対し胸骨圧
迫が行われており,あるいはチアノーゼ症状が特に観察されていないこと
等の事情を踏まえたとしても,平成23年8月7日16時50分時点で計
測された Sp02の63%がPa02の33mmHgに相当する重篇な呼吸不全状態
を意味することは上記認定のとおりである。
そして,証人相引眞幸が,その意見書(乙B4) 及び尋問【15】にお
いて,心停止時間が10分程度でも心拍が再開できれば,通常は命まで落
とすことはない,あるいは自己心拍再開までに25分かかっても5割程度
は神経学的予後が良好である旨述べる点についても,客観的なデータ等に
よってその医学的根拠が裏付けられているということはできず,結局,ど
の程度の呼吸不全状態がどの程度の時間継続した場合において,予後が良
好であるか不良であるかを的確に認めるに足りる証拠はない。
また,上記1(4)に認定したとおり,平成23年8月8日の仙台医療セン
ターにおいて撮影された頭部CT画像 (手術前) において,右大脳半球優
位に脳実質内の d e n s i t yが不均一に低下しているとされていること
(甲A1の1【44】)は,CT画像の低吸収域として,脳浮腫を示すも
のであり (甲B28【47】),原告主張の機序(低酸素脳症から脳浮腫
が進行したこと) と特に矛盾するものとはいえない。
ウ さらに,被告は,●の気脳症の部位は右側で,脳浮腫が出たのも右側
であるため,右側開頭減圧術が行われているとし,異変が心臓由来のもの
であったなら,異変はこのように右側のみに発生するはずがない旨主張す
る。
しかしながら,上記のとおり,平成23年8月8日の頭部CT画像 (手
術前)は,右大脳半球優位ではあるものの,脳実質内の d e n s i t yは
不均一に低下しているとされるものであるうえ,●に対しては,両側開
頭外減圧術が施行されているのであって(甲A1の1【41】,甲A1の
2) ,気脳症あるいは脳浮腫の部位が右側のみに発症したものと認めるこ
とはできないから,上記主張はその前提を欠いている。
エ 以上の検討によれば,被告の過失と●の死亡との因果関係を否定する
ことはできないというべきである。
4 ●及び原告の損害について
上記2及び3に認定したところによれば,被告は,上記2(1)ないし(3)の過失により●に発生した損害 (第2の2に認定したとおり,原告は●の父であることが認められるから,同損害にかかる損害賠償債権を相続により取得したことが認められる。)及び原告に発生した損害につき,原告に対し,不法行為に基づく損害賠償義務を負うものというべきところ,●及び原告には,以下の損害が発生していることが認められる。
(1) ●の死亡により,●に生じた損害
ア 死亡慰謝料 2000万円
●は,死亡当時11歳と未だ年少であり,同人にとって,その後の長
く可能性のある人生を失った無念は極めて大きいというほかなく,この精神的苦痛を金銭的に評価すると,2000万円をもって相当と認める。
イ 逸失利益 3216万7665円
上記のとおり,●は,死亡当時11歳であって,賃金センサスを用い
て,生活費控除率を30%とし,逸失利益を算出すると,次のとおりとな る。
(計算式)
平成23年度賃金センサス女性全年齢計・全学歴計平均年収355万
9000円×(1一生活費控除率0.3)×(11歳から67歳までの
56年に対応するライプニッツ係数18.698-11歳から18歳ま
での7年に対応するライプニッツ係数5.786)=3216万7665円
(2) ●の死亡により,原告に生じた損害
ア 近親者慰謝料 200万円
●の父である原告が未来ある年少の娘を失ったことにより甚大な精神
的苦痛を被ったことその他本件に現れた諸般の事情を考慮すると,原告固
有の慰謝料としては,200万円の支払をもってするのを相当と認める。
イ 葬儀費用 150万円
証拠(甲C1,4ないし38)及び弁論の全趣旨によれば,原告が,葵
夢の葬儀を執り行い,葬儀費用及び葬儀後の費用として合計367万75
02円を支出したことが認められるところ,このうち150万円は被告の
過失と相当因果関係のある損害と認められる。
(3) 原告に生じたその他の損害
ア 治療費 10万9715円
証拠(甲C2,3)によれば,原告は,●の平成23年8月7日の仙
台徳洲会病院における治療費として1万0500円,同日から同月30日
までの仙台医療センターにおける治療費として10万9715円を支出し
ていることが認められるところ,仮に被告による適切な救命措置が行われ
ていた場合に,このうちどの部分の支出が不要となったかについてはあま
り明確ではないものの,上記1(7)に認定したとおり,一般的に,自律神経
反射としての心肺停止は,発生しても通常は一過性で速やかに回復すると
されていることに鑑みれば,脳神経外科における治療を行った仙台医療セ
ンターにおける治療は不要となった蓋然性が高いということができ,そう
すると,同治療にかかる治療費は被告の過失と相当因果関係のある損害と
認めるのが相当である。
イ 入院雑費 3万6000円
上記アで説示したところによれば,仙台医療センターにおける治療にか
かる費用については,被告の過失と相当因果関係が認められるところ,上
記認定事実1(4)(5)によれば,●は,平成23年8月7日から同月30日
までの24日間,仙台医療センターに入院したことが認められるから,1
日につき1500円×24日=3万6000円の入院雑費を認めるのが相
当である。
ウ 付添看護費 15万6000円
上記のとおり,●は平成23年8月7日当時11歳と年少であり,ま
た,仙台医療センターにおける入院中,意識が回復しない重篤な状態であ
ったことからすると,近親者の付添が必要であったことが認められるから
平成23年8月7日から同月30日までの24日間の入院につき,1日あ
たり6500円×24日間=15万6000円の付添看護費を認めること
が相当である。
エ 付添雑費
原告は,付添用レンタル寝具などに1日1300円を要した旨主張する
が,これを認めるに足りる証拠はなく,同費用を損害として認めることは
できない。
オ 弁護士費用 560万円
弁論の全趣旨によれば,原告と原告訴訟代理人弁護士との間の本件訴訟
に関する委任契約の存在を認めることができるところ,本件訴訟の内容,
難易,審理経過及び認容額等に照らすと,被告の過失と相当因果関係のあ
る損害としては,560万円をもって相当と認める。
(4) 合計額 6156万9380円
5 結論
以上によれば,被告は原告に対し,不法行為に基づく損害賠償として,61
56万9380円及びこれに対する不法行為の後の日 (●の死亡日)である
平成23年8月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損
害金の支払義務を負うことになる。
よって,原告の請求は主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その
余は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
仙台地方裁判所第3民事部
裁判長裁判官 大 嶋 洋 志
裁判官 大 澤 知 子
裁判官 木 村 洋 一