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最高裁医療過誤判例分析

MRSAに関する判例

主    文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         
理    由
 上告代理人川端和治,同中山ひとみの上告受理申立て理由第3の1,2,第3の4のうち抗生剤の併用避止義務違反をいう部分を除く部分,第5の5の(1)~(4),(6)について

 1 本件は,A(明治▲年▲月▲日生まれで,平成▲年▲月▲日に81歳で死亡した女性。以下「A」という。)が,脳こうそくの発作で被上告人の開設するB病院に入院していたところ,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(以下「MRSA」という。)に感染するなどした後に,全身状態が悪化して死亡したことから,Aの相続人である上告人らが,B病院のC医師らには,(1) 広域の細菌に対して抗菌力を有する抗生剤(以下「広域の抗生剤」といい,これに対し,狭域の細菌に対して抗菌力を有する抗生剤を「狭域の抗生剤」という。)である第3世代セフェム系のエポセリンやスルペラゾンをAに投与すべきでなかったのに,これらを投与したことにより,平成5年2月1日ころまでに,AにMRSA感染症を発症させた過失,(2) AにMRSA感染症が発症した上記時点で抗生剤バンコマイシンを投与すべきであったのに,これを投与しなかったことにより,AのMRSAの消失を遅延させた過失,(3) Aの入院期間中,多種類の抗生剤を投与すべきでなかったのに,これをしたことなどにより,AにMRSA感染症,抗生物質関連性腸炎,薬剤熱,肝機能障害,じん不全,けいれんや多臓器不全を発症させた過失等があり,その結果,Aを死亡させるに至ったなどと主張して,被上告人に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。

 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1) MRSAは,昭和50年代後半ころから,急速に全国に広がり,院内感染の原因菌として注目されるようになったものであるが,MRSA感染症が一度発症すると有効な抗生剤が少なく,治療が困難であり,多臓器不全等で死亡に至る可能性があることから,感染防止対策が極めて重要である。MRSAについては,感染症が発症した場合には,治療の対象となるが,これを保菌しているにすぎない場合には,治療は不要である。

 (2) Aは,平成4年11月3日,脳こうそくの発作を起こし,傾眠状態に陥り,左半身に麻ひが認められたことから,B病院に緊急入院し,集中治療室で治療を受けた。Aは,徐々に意識を回復したが,構音障害とえん下障害が残った。同月6日,Aは,右側頭葉のこうそくとこれに基づく運動性失語症と診断され,集中治療室から一般病室へ移った。

 (3) 平成4年12月末ころ,Aに38度台の熱が認められたことから,C医師は,感染症治療のために,同月31日から平成5年1月10日(以下,平成5年については月日のみを記載する。)まで抗生剤ケフラールを投与し,また,同月9日,Aの症状を肺炎又は気管支肺炎と診断した。同月11日になってもAに37~38度台の熱が続き,下痢症状が認められ,同月7日に採取したAのかくたんからは黄色ブドウ球菌が検出されたことから,同医師は,Aの症状を呼吸器感染と疑い,抗生剤を広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリン1日2gに変更し,同月11日から18日まで投与した。同月15日になってもAには38度台の熱があった。同医師は,Aの症状について尿路感染症をも疑い,同日から同月26日まで抗生剤ビブラマイシン1日100mgを追加投与した。同月25日,Aの尿から緑のう菌が検出されたことから,同医師は,同日から2月13日まで広域の抗生剤である第3世代セフェム系のスルペラゾン1日1gを追加投与した。一時的にAの熱は下がったが,1月28日,再びAの熱が上昇してきたことから,同医師は,スルペラゾンの効能を良くする目的で,同月29日から2月18日まで抗生剤ホスミシン1日2gを追加投与した。

 (4) 2月1日,1月28日に採取したAのかくたんからMRSAが検出され,また,2月1日に採取したAの便からもMRSAが検出されたことから,C医師は,同日から同月21日まで抗生剤ミノマイシン1日200mgを,また,同月1日から26日まで抗生剤バクタ1日4gを,それぞれ追加投与した。同月初旬ころ,Aの熱は下がったが,同月13日,Aの熱が再び37度台に上昇してきた。同医師は,Aの発熱が抗生剤によるものと疑い,スルペラゾンの投与を中止した。同月11日以降に採取したAのかくたんからは,MRSAは検出されなくなったが,Aの便からは,同月18日まで,MRSAが引き続き検出された。同日,Aにホスミシンの感受性が認められなくなったことから,同医師らは,ホスミシンの投与を中止した。同月23日,Aに薬剤性の肝障害と疑われる症状が認められたことから,同医師らは,ミノマイシンの投与を中止した。同月24日以降,Aの熱が再び上昇してきた。同月26日,同医師らは,Aの発熱の原因が抗生剤にあると疑い,バクタの投与を中止した。3月1日以降も,Aに37度以上の熱が頻発し,同月4日,同月1日に採取したAのかくたんから少量のMRSAと多量の緑のう菌が検出されたことから,同医師は,同月4日から18日まで抗生剤アミカシン1日100mgを投与した。Aの検体からはMRSAと緑のう菌が引き続き検出された上に,Aの熱も下がらなかった。そこで,同医師は,Aの症状を上気道感染症や尿路感染症等と疑い,同月15日以降,アミカシンの投与量を1日200mgに増やして経過を観察した。同月17日,同月15日に採取したAのかくたんから多量のMRSAと緑のう菌が検出されたことから,同医師は,同月17日から22日までバクタ1日6gを追加投与した。

 (5) 3月18日,Aの子であるDの要請を受け,C医師は,B病院の院長E医師と協議の上,初めてバンコマイシンを投与することを決め,同日から同月28日までバンコマイシン1日2gを追加投与するとともに,同月18日から26日までホスミシン1日4gを追加投与し,アミカシンの投与を中止した。AのかくたんからMRSAと緑のう菌が引き続き検出され,また,Aの熱も下がらなかったことから,C医師は,同月27日,バンコマイシンとホスミシンの併用に効果が認められないと考えて,ホスミシンに替えて,同日から4月21日までバクタを投与し,また,3月27日から4月5日まで抗生剤ビクシリン1日2gを追加投与した。3月28日,同医師は,Aの症状をMRSA及び緑のう菌の混合感染による気管支炎及び腸炎と診断し,効果のある抗生剤を多種類併用してみることとし,バンコマイシンの投与を中止し,同日から4月5日までミノマイシンを追加投与した。同医師らは,気管支肺炎の対策として,3月29日から4月5日まで抗生剤リファジンを追加投与した。同医師らは,緑のう菌の対策として,3月30日から4月5日まで抗生剤ペントシリン1日4gと抗生剤トブラシン1日60mgを追加投与した。また,1時間ごとにAに下痢が認められたため,同医師らは,3月30日から4月13日までバンコマイシン1日2gを投与した。その結果,3月30日以降,投与する抗生剤は7種類となった。Aの熱はいったん下がり,下痢も止まったが,4月6日,Aの熱が再び上昇したことから,同医師は,Aの症状を薬剤熱等と疑い,投与する抗生剤をバンコマイシンとバクタに限定し,ビクシリン,ミノマイシン,リファジン,ペントシリン及びトブラシンの投与を中止した。

 (6) 4月2日以降に採取したAのかくたんからは,MRSAが消失したが,緑のう菌は依然として検出されていた。C医師らは,同月7日から20日までペントシリン1日4gとトブラシン1日60mgを投与し,同月7日から12日まで,抗生剤クリンダマイシン1日1200mgを投与し,また,嫌気性菌の対策として,抗生剤ダラシン1日1200mgを追加投与した。その後も,Aの下痢,発熱が続いていたことから,同月15日,同医師は,Aの下痢の原因がバクタの投与によるものと疑い,バクタの投与を中止したところ,同月16日以降,Aの下痢が治まった。同月20日,Aのかくたんから検出される緑のう菌が少量となったことから,同医師は,ペントシリンとトブラシンの投与を中止した。同月27日,同医師らは,Aの熱が抗生剤の投与によるものかもしれないと考えて,抗生剤の投与を中止した。同月22日に採取したAのかくたんや同月23日に採取したAの便から多量の緑のう菌が検出されたが,MRSAは検出されなかった。Aには38度台の熱や下痢が続いた。同医師らは,緑のう菌の対策として,5月6日から21日まで抗生剤アザクタム1日2gを投与した。Aの熱が上昇したため,同医師らは,緑のう菌の対策として,同月11日から6月22日まで抗生剤チェナム1日1gを追加投与した。Aには37度台の熱や下痢が続き,Aのかくたんからは多量の緑のう菌が引き続き検出された。同月1日,同医師は,Aの熱と下痢が緑のう菌によるものと考えて,同日から同月22日までトブラシン1日60mgを追加投与した。同月15日,Aの熱は治まったが,下痢は続いた。同月22日,同医師は,Aの下痢が抗生剤の影響であると疑い,チェナムとトブラシンの投与を中止した。

 (7) 6月29日以降に採取したAのかくたんから少量のMRSAが検出されたことから,C医師は,7月2日から14日までバクタ1日3gを投与した。同月7日,同月5日に採取したAのかくたんから多量のMRSAと緑のう菌が検出されたことから,同医師は,緑のう菌の対策として,同月7日から9日までチェナム1日2gとトブラシン1日60mgを,MRSAの対策として,同月7日から13日までバンコマイシン1日2gを,それぞれ追加投与した。同月8日,同医師は,Aの症状をMRSAと緑のう菌による気道感染症と診断し,緑のう菌の対策としてチェナムとトブラシンの投与を,MRSAの対策としてバンコマイシンの投与を,それぞれ継続することにした。同月9日,Aは全身性強直性けいれんを起こした。同医師は,抗生剤によるものと疑い,チェナムとトブラシンの投与を中止し,同月12日,MRSAの対策としてバンコマイシンとバクタの投与だけを継続することにした。同月13日,同医師は,Aの症状をMRSAと緑のう菌による呼吸器感染症と診断したが,Aの家族の申入れもあり,同月14日,バンコマイシンとバクタの投与を中止し,抗生剤を投与しないで観察することにした。

 (8) 7月12日以降に採取したAのかくたんからMRSAは消失したが,Aには37度台の熱が続いた。同月21日,C医師は,Aの症状を緑のう菌による安定慢性呼吸器感染症と診断した。同月22日と26日に採取したAのかくたんからMRSAが検出されたことから,同医師は,同月29日から31日までバンコマイシン1日1.5gを投与した。同月31日,Aの尿がわずかしか出なくなったことから,同医師は,急性じん不全を疑い,バンコマイシンの投与を中止し,8月1日,Aの症状をバンコマイシンによる急性じん不全と診断した。同医師らがラシックスやイノバンを投与したところ,同月2日,尿が出るようになり,Aは急性じん不全の状態から脱した。同日以降も,AのかくたんからはMRSAが検出され,また,同月5日以降に採取したAの便からもMRSAが検出されるようになった。同月9日,Aの左半身にけいれんが出現した。同医師らは,MRSAの対策として,同月10日から13日まで抗生剤タリビット1日1800mgを投与した。同月12日,Aに発しんが認められたことから,同医師は,同月13日,発しんが抗生剤によるものと疑い,タリビットの投与を中止した。しかし,同月16日,Aの発しんは全身に拡大した。同月18日,同医師は,Aの症状をMRSAによるアレルギー性じん不全,皮しんと診断し,同日から同月25日までバクタ1日8gを,同月18日から22日までミノマイシン1日100mgを,それぞれ投与した。同月24日,Aに黄だんが出現した。同月25日,同医師らは,Aの肝機能が低下していると診断して,バクタの投与を中止した。同月26日,Aの心拍数は高く,血圧は低く,心機能は低下し,また,胃部から出血が確認された。同月29日,Aの肺機能が低下し,頻呼吸になった。同月31日,Aは,多臓器不全により死亡した。

 3 原審は,上記事実関係の下において,要旨次のとおり判断して,C医師らの抗生剤の使用に過失があったとは認められないとして,上告人らの請求を棄却すべきものとした。

 (1) C医師らは,広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリンやスルペラゾンを投与している。しかし,F(市立舞鶴市民病院副院長兼京都大学医学部臨床教授)の鑑定意見書(甲12号証の3)や意見書(甲14号証の1)(以下,両意見書を併せて「F意見書」という。)が,時には経験的に広域の抗生剤を大量に使用する必要性も生じるものの,総じて第3世代セフェム系への依存が強すぎるとしていることに照らすと,その当否はともかく,当時の臨床医学においてはC医師らと同様に第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことがうかがわれる。また,G(東京専売病院院長,前東京大学医科学研究所感染症研究部教授)の鑑定意見書(乙19号証の2,以下「G意見書」という。)も,C医師らが臨床的に呼吸器感染を疑ってエポセリンを投与したことは妥当な選択であり,緑のう菌の対策としてスルペラゾンを投与したことも妥当であるとしている。さらに,鑑定人H(北里大学医学部教授(感染症学))の鑑定書及び鑑定書(補充)(以下,両鑑定書を併せて「H鑑定書」という。)も,エポセリンやスルペラゾンの投与が特に鑑定事項とされていなかったことから,個別的な当否について触れていないものの,抗生剤の投与全体の中で特に問題があったとはしていない。そうすると,C医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失があったとは認め難い。

 (2) C医師らは,2月1日ころの時点で,バンコマイシンを投与していない。確かに,H鑑定書には,C医師らが上記時点でバンコマイシンを投与していれば,もっと早くAの便からMRSAが消失していた可能性があったとする部分がある。しかし,H鑑定書は,MRSAの保菌者に対する安易なバンコマイシンの使用については,バンコマイシンに対する耐性菌を生み出し,その後の耐性菌に対する治療が深刻な問題になる危険をはらんでいるとした上で,C医師らの投与したミノマイシンとバクタによっても,時間を要したものの,Aの便からMRSAが消失したという臨床経過が認められるのであるから,同医師らの処置が不適切であったとまでは断定できないとしている。また,F意見書やG意見書も,C医師らが上記時点でバンコマイシンを投与していないことを問題としていない。そうすると,C医師らが上記時点でバンコマイシンを投与していないことに過失があるということはできない。

 (3) C医師らは,Aの入院期間中,多種類の抗生剤を投与している。確かに,G意見書には,C医師らの抗生剤の使用には,部分的に問題のあるものもあり,やや多用された感があるとする部分がある。しかし,F意見書は,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったとしている。また,H鑑定書も,C医師らが多種類の抗生剤を投与したことを問題にしていない。さらに,G意見書も,C医師らの抗生剤の使用は,全体としては当時の医療レベルで許容範囲内のものであったとしている。そうすると,C医師らが多種類の抗生剤を投与したことに過失があったとは認め難い。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 (1) 第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンの投与について
 原審が,上告人ら提出のF意見書によっても,当時の臨床医学においてはC医師らと同様に第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことがうかがわれるとした上で,G意見書及びH鑑定書に基づいて,C医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失があったとは認め難いとしたことは,原判決の説示から明らかである。
 しかしながら,本件記録によれば,国立病院・国立療養所院内感染防止マニュアル作成委員会作成の院内感染防止マニュアル(甲1号証)には,第3世代セフェム系抗生剤は,広域の細菌に対して強い抗菌力を有するものの,ブドウ球菌に対する抗菌力が比較的弱いため,同抗生剤が濫用された結果,耐性を獲得したブドウ球菌であるMRSAが選択的に増殖し,病院内で伝ぱするようになったという経過があることに照らすと,MRSA感染症の発症を予防するためには,感染症の原因となっている細菌を正しく同定して,適切な抗生剤を投与すべきであり,第3世代セフェム系抗生剤の投与は避けるべきであると記載されているし,F意見書やI(順天堂大学医学部教授(細菌学教室))の意見書(追加)(甲25号証の1,以下「I意見書」という。)にもこれと同趣旨の記載があることからすると,当時の臨床医学においては第3世代セフェム系抗生剤を投与するのがむしろ一般的であったことがうかがわれるとしても,直ちに,それが当時の医療水準にかなうものであったと判断することはできないものというべきである。
 この点について,G意見書には,C医師らが臨床的に呼吸器感染を疑ってエポセリンを投与したことは妥当な選択であり,緑のう菌の対策としてスルペラゾンを投与したことも妥当であるとする記載部分があることは,原判決の説示するとおりである。しかし,本件記録によれば,G意見書は,エポセリンやスルペラゾンがその投与の時点で細菌に対する感受性を有していたことを指摘するにとどまるものであって,これらに代えて狭域の抗生剤を投与すべきであったか否かという点については検討をしていないことがうかがわれるのであり,同意見書が,被上告人提出のものであり,その内容について上告人らの尋問にさらされていないことも考慮すると,安易に同意見書の結論を採用することは相当でない。したがって,G意見書に上記記載部分があることをもって,C医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 そして,H鑑定書については,本件記録によれば,同鑑定書には,「抗生剤治療には一部不適切な部分が認められる」,「1月6日の血液検査で・・・ケフラール使用中にもかかわらず炎症反応が悪くなっていることから注射による抗生剤の治療が必要と考えられるが,実際に注射が投与されたのは1月12日であり,選択した薬剤も抗菌力はあるもののブドウ球菌に対して比較的弱いとされている第3世代に属するエポセリンを選択している」など,C医師らが抗生剤として第3世代セフェム系のエポセリンを選択したことが,当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載があることがうかがわれる。
 そうすると,当時の臨床医学においてはC医師らと同様に第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与することがむしろ一般的であったことがうかがわれるというだけで,それが当時の医療水準にかなうものであったか否かを確定することなく,同医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失があったとは認め難いとした原審の判断は,経験則又は採証法則に反するものといわざるを得ない。

 (2) バンコマイシンの不使用について
 原審が,H鑑定書,F意見書及びG意見書に基づいて,C医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与していないことに過失があるということはできないとしたことは,原判決の説示から明らかである。
 そして,H鑑定書には,MRSAの保菌者に対する安易なバンコマイシンの使用については,バンコマイシンに対する耐性菌を生み出し,その後の耐性菌に対する治療が深刻な問題になる危険をはらんでいるとした上で,C医師らの投与したミノマイシンとバクタによっても,時間を要したものの,Aの便からMRSAが消失したという臨床経過が認められるのであるから,同医師らの処置が不適切であったとまでは断定できないとする記載部分があることも,原判決の説示するとおりである。
 しかしながら,本件記録によれば,H鑑定書には,「抗生剤治療には一部不適切な部分が認められる」,「Aは高齢で,かつ基礎疾患に脳こうそくがあるために寝たきりの状態であること,1月28日のかくたんからMRSAが出ていること,1月15日から下痢が続いていることからMRSA腸炎の存在を念頭に置く必要がある。2月3日に2月1日に検査したふん便からMRSAが証明された時点でバンコマイシンの経口投与を開始することの是非が検討されるべきと考える。治療としてバンコマイシンの経口投与を選択する理由としては以下に述べる理由が挙げられる。①感染に対する抵抗力の弱い高齢者である。②既にかくたんからMRSAが検出されている。③下痢を伴っており,MRSAの腸管の感染(保菌ではない)の可能性がある。・・・⑤バンコマイシンを経口投与した場合に,この薬剤は腸管からの吸収が悪く,未吸収の薬剤が高濃度に腸の中に存在することから腸内のMRSAに対して効果が十分に期待できる。」,「理論的にはバクタはバンコマイシンに比べて腸管からの吸収が良いことから腸管内のMRSAに対しての効果はバンコマイシンほどではないと考えられ,鑑定人としては第一選択薬としてはバンコマイシンを推奨する」,「2月3日に便からMRSAが検出されていることが判明し,下痢が続いていた時点でMRSA感染症と判断してバンコマイシンが使用されていれば,今回の臨床経過に比べてより早く便からMRSAが消失したことが予想される。」,「2月に抗MRSA薬を開始していれば結果が異なった可能性はある。」,「その後MRSAの定着が抑制されれば死亡という最悪の事態は避けられたことも考えられる」など,C医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったことが,当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載もあることがうかがわれる。
 また,F意見書には,C医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与していないことを問題にする記載部分がないことは,原判決の説示するとおりであるが,本件記録によれば,同意見書には,上記時点のAの具体的症状をMRSA感染症又はその疑い例に当たると評価すべきなのか,MRSAの保菌にすぎないと評価すべきなのかについては触れられていないものの,MRSA感染症又はその疑い例に対しては,平成5年当時も現在もバンコマイシンが第1選択薬であるのは世界的な水準であり,そのこと自体には何らのしゅん巡も不要であるなどの記載もあり,同意見書が,同医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことについて,当時の医療水準にかなうものであるという趣旨の指摘をするものであるか否かは,明らかではないといわざるを得ない。したがって,F意見書に上記記載部分がないことをもって,C医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 さらに,G意見書には,C医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与していないことを問題にする記載部分がないことは,原判決の説示するとおりであるが,本件記録によれば,同意見書は,同医師らが上記時点でバンコマイシンを投与していないことに問題がなかったともしていないのであり,同意見書が,同医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことについて,当時の医療水準にかなうものであるという趣旨の指摘をするものであるか否かは,明らかではないといわざるを得ない。したがって,G意見書に上記記載部分がないことをもって,C医師らが2月1日ころの時点までにバンコマイシンを投与しなかったことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 そうすると,H鑑定書,F意見書及びG意見書に基づいて,C医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったことに過失があるということはできないとした原審の判断は,経験則又は採証法則に反するものといわざるを得ない。

 (3) 多種類の抗生剤の投与について
 原審が,上告人ら提出のF意見書によっても,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったことがうかがわれるとした上で,H鑑定書及びG意見書に基づいて,C医師らが多種類の抗生剤を投与したことに過失があったとは認め難いとしたものであることは,原判決の説示から明らかである。
 しかしながら,本件記録によれば,前記院内感染防止マニュアルには,MRSA感染症の発症を予防するためには,科学的評価に基づく適正な種類の抗生物質のみを使用すべきであると記載されているし,F意見書やI意見書にもこれと同趣旨の記載があることからすると,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったことがうかがわれるとしても,直ちに,それが当時の医療水準にかなうものであったと判断することはできないものというべきである。
 また,H鑑定書には,C医師らが多種類の抗生剤を投与したことを問題にする記載部分がないことは,原判決の説示するとおりであるが,本件記録によれば,同医師らが多種類の抗生剤を投与したことの適否については,鑑定事項とされなかったために,同鑑定書には,この点についての鑑定意見の記載がないことがうかがわれ,同鑑定書に上記記載部分がないことをもって,同医師らが多種類の抗生剤を投与したことの過失を否定する根拠とすることはできない。
 さらに,G意見書には,C医師らの抗生剤の使用が,全体としては当時の医療レベルで許容範囲内のものであったとする記載部分があることは,原判決の説示するとおりであるが,本件記録によれば,同意見書は,被上告人提出のものでありながら,「4月初旬の計5種類の抗生物質併用は問題無しとは言えない。」,「使用意義の理解できないものに3月27日~4月5日のビクシリン,5月に行われたアザクタム,チェナム併用がある。前者は何を目標にしたのか不明であり,後者は抗菌機序からみて併用する意味はない。」,「保険適応外の抗生物質を含んだ多剤投与や・・・一部に無意味と思われる併用等,2,3の問題は残る。」,「Aさんに使われた抗生物質をみるとやや“薬漬け”の感が無くはない」など,同医師らが必要のない抗生剤を投与したことなどが,当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の具体的かつ批判的な指摘をするものと理解できる記載があることがうかがわれる。
 そうすると,実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったことがうかがわれるというだけで,それが当時の医療水準にかなうものであったか否かを確定することなく,C医師らが多種類の抗生剤を投与したことに過失があったとは認め難いとした原審の判断は,経験則又は採証法則に反するものといわざるを得ない。

 5 以上のとおり,C医師らの抗生剤の使用に過失があったとは認められないとした原審の判断には,経験則又は採証法則に反する違法があり,この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があるから,原判決は破棄を免れない。そこで,C医師らの抗生剤の使用に過失があったかどうか等について,更に必要な審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 津野 修 裁判官 滝井繁男 裁判官 今井 功 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀)